トップ  > 小田原支店  > 第31回一夜城まつり&早川のお話♪

こんにちは。小田原支店の加山です。

 

小田原では10/18(日)、第31回一夜城まつりが開催されました!

このお祭りは、豊臣秀吉の天下統一の拠点となった国指定史跡・石垣山一夜城を舞台に、小田原合戦にちなんだエピソードを元にした様々なイベントが繰り広げられます。

 

一夜城とは、豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に造った石垣造りのお城です。

小田原衆に築城している様子が悟られないように、城が完成するまで周囲の木を切らずに残しておき、完成と同時に周りの木を伐採して一夜のうちに出来たように見せかけたというエピソードから、一夜城という名前が付きました。

一夜城まつりでは、その昔ここで秀吉が茶会を開いたといわれていることにちなんで、和太鼓演奏や甲冑隊によるパフォーマンスが行われ、天下人茶会体験などにも参加することができます。

写真①

一夜城から見ると、小田原市街が以下の写真のように見えます。小田原城の天守閣は、現在は足場があるため、グレーの四角い囲いしか見えません。

写真②

この場所には、畑と地産地消を目指したレストラン、直売所などを備えた「一夜城ヨロイヅカファーム」があります。

写真④   写真⑤

当日のイベントでは、パティシエの鎧塚氏も登場し、会場を盛り上げていました。

写真③

 

さて、一夜城と小田原城の間には、箱根の芦ノ湖から流れてくる早川が流れています。

今回のブログでは、この早川に関するお話を2つ紹介します。

写真⑥

一つ目は「三本の矢」に関するお話です。先日、経済成長の推進力として「新三本の矢」が発表されましたが、ここでは元祖「三本の矢」についてお話します。

「三本の矢」とは、毛利元就が3人の息子たちにあてて書いた三子教訓状が元になって生まれたエピソードと言われています。(諸説あり)

「一本の矢はすぐに折ることができないが、三本の矢を束ねれば容易に折ることができないため、3人で力を合わせて家を守ること」という結束の重要性を説いているため、様々な場面で比喩として使れていますね。

 

さて、この3人の息子たちとは毛利隆元・吉川元春・小早川隆景です。このうち小早川家は早川にいた一族が中国地方にて勢力を拡大し、早川に拠ってその名字を称したとも言われており、実はこの小田原にゆかりが深い一族なのです。

小田原攻めでは毛利水軍が早川河口に出張っていたといいます。出身地ともいえる場所を攻める心中はさぞや複雑な気持ちだったのではないでしょうか。

 

2つ目は、「早川上水」に関するお話です。

東京には神田上水、玉川上水など、江戸時代につくられたたくさんの上水道があります。世界に目を向けるとローマ水道が有名です。

では、日本で最初に上水道が出来たのはどこでしょう。

 

答えは…早川から小田原城総構え内に流した「早川上水」です。

一夜城を作り小田原を攻めた武将たちは、この早川上水を見て「これはいい!」と思い、全国に上水道が広がったと言われています。中でも、河口の低湿地であった江戸城に住むことになり、上水道の重要性を感じた徳川家康が作ったのが、玉川上水や神田上水だそうです。

 

調べれば調べるほど面白い小田原!次回以降のブログでも色々なエピソードを紹介してまいりますので、どうぞお楽しみに♪