芝営業部
こんにちは。芝営業部の船橋です。
当部では11/4(火)、2014年度下期第1回シルバーカレッジを開催しました!
今回のシルバーカレッジは、恵比寿にあるサッポロビール株式会社本社の会議室をお借りしての課外授業となりました。
当日は、ヱビスビール記念館の端田晶館長より「東洋のビール王~馬越恭平」をテーマにお話をしていただきました。
馬越恭平は1844年岡山にて、医師の元泉と母の古尾子の次男として出生しました。
16歳の時、大阪にて播磨屋(諸藩御用達兼公事宿)当主の養子となり、23歳で養父の隠居に伴って播磨屋仁兵衛を継ぎました。その後貿易商を目指すも養父に反対され離縁。29歳で上京、32歳で三井物産に入社しました。
三井物産から派遣されて、日本麦酒の重役に就任したことがビールと関わる発端となりました。やがて経営が多忙となってくると三井物産を退職し、ビール会社経営に集中するようになりました。今も残る銀座のビヤホールはこの時期に作られたもので、身分や階級の差もなく肩をならべてビールを飲むことができる、当時では大変画期的な場所だったそうです。
その後は厳しい市場競争を乗り越え、「日本麦酒(商標・ヱビス)」、「札幌麦酒(商標・サッポロ)」、「大阪麦酒(商標・アサヒ)」の3社を合併した大日本麦酒株式会社を設立、社長に就任します。そして、独占に近い70%以上のシェアを確保しました。
馬越氏は88歳で死去するまで、同社で30年間社長を務め、「東洋のビール王」と称されるまでになったそうです。
大日本麦酒は戦後、GHQの「過度経済力集中排除法」によりサッポロビールとアサヒビールの2社に分割されました。ヱビスビールの商標はサッポロビールに受け継がれています。
端田館長からはこの他にも、馬越恭平の武勇伝や裏話など、映像を交えながら楽しくお話していただき、お客さまからの笑い声が絶えないシルバーカレッジとなりました。
お客さまからは、「銀座ビヤホールを改めて見直しました、いつまでも残してほしいです」、「様々なエピソードを流暢に紹介していただき、大いに楽しめました」、「初めて参加しましたが大変興味深い企画でした。今後も期待しています」、「講談調、漫談調の話し方で楽しみながら、馬越恭平に関する知識を得ることができました」等々、たくさんのご感想をいただきました。
端田館長をはじめ、シルバーカレッジの開催にご協力をいただきましたサッポロビールの皆さまに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
次回のブログでは、12月に開催されたシルバーカレッジ「手作りのクリスマスリース教室」の模様をお伝えしますので、どうぞお楽しみに!